城とは何か? ――中澤克昭『日本城郭史』試し読み 什么是“城”?——中泽克昭《日本城郭史》试读
国家の平安を乱す野蛮な軍事施設から、地域の秩序を保つ平和の要へ――。
古代の城柵から近世の御城まで、史料に現れる城をたどってみると、日本という国のかたちが見えてくる。現代人の城の見方も揺さぶるちくま新書9月刊『日本城郭史』より、序章を公開します。从扰乱国家安宁的野蛮军事设施,到维护地区秩序的和平要塞——。从古代的城栅到近世的御城,追溯史料中出现的“城”,日本国家的形态便隐约可见。本文摘自9月出版的筑摩新书《日本城郭史》,公开其序章,旨在动摇现代人对“城”的固有看法。
✑中澤克昭✑中泽克昭
「城とは何か?」という問いが、日本の歴史の知られざる一面を描き出すことにつながっている。「城とは何かもわかっていない人に、新たな史実を発見することなどできるのか」と思われるかもしれないし、大げさだと感じる人もいるだろう。しかし、根本的な問題を議論することで、新しい歴史の見方に気がつく場合がある。“什么是城?”这一问题,正引导我们揭开日本历史不为人知的一面。或许有人会想:“连什么是城都没搞清楚,还能发现新的史实吗?”也有人会觉得这未免小题大做。然而,通过探讨根本性问题,往往能让人发现看待历史的新视角。
†城とは何か?
一般に「お城」と言えば、姫路城や松本城などに代表される天守をもつ近世の城郭がイメージされよう(図1)。†什么是城?一般提到“城”,人们脑海中浮现的往往是以姬路城、松本城等为代表,拥有天守的近世城郭(图1)。

近世城郭(城郭建築)は、織田信長・羽柴(豊臣)秀吉の時代に成立した建築様式で、その後、全国各地にその様式の影響をうけた城が築かれた。そうした江戸時代の城郭について調査・研究しようとするとき、どの遺跡を城と呼ぶか、その遺跡が城か否か、といったことで迷ったり、悩んだりすることはほとんどないだろう。
ところが、筆者が専門とする中世になると、そうはいかない。中世遺跡の場合、これは何の遺跡か、城か否か、といった判断を求められるケースがめずらしくない。例えば、山中で石垣が発見された(図2)。それについて記された古文書も伝承もない場合、その石垣が何の遺構か、判断に困ることがある。山岳寺院の境内の一部か、城の削平地(「郭」または「曲輪」と称する)の防禦のために積まれたものか、畑の土留めの石垣か。
近世城郭(城郭建筑)是织田信长与羽柴(丰臣)秀吉时代形成的建筑样式,此后,全国各地纷纷筑起受此样式影响的城。在调查研究江户时代的城郭时,我们几乎不会为“该遗迹是否称得上城”或“这究竟是不是城”而感到困惑或烦恼。然而,到了笔者所专攻的中世,情况便大不相同。在中世遗迹中,经常需要判断“这是什么遗迹?是城吗?”。例如,在山中发现了一处石墙(图2)。若没有相关古文书或传说记载,有时很难判断这处石墙究竟是何遗迹。它是山岳寺院境内的一部分?是为了防御城内削平地(称为“郭”或“曲轮”)而堆砌的?还是田地的挡土石墙?

あるいは、発掘調査によって中世の堀と土塁に囲まれた方形の区画が検出された。それは何の遺跡なのか。「武士の館だ」と判断するのは早計である。寺院も堀や土塁を構築することはあったので、出土する遺物が少ない場合、館か寺か、判断に困る場合がある。仏具や茶道具などの遺物が出土し、寺院の遺構だと考えられたとしても、中世には寺院が城郭化することもあった。文献史料によって、その寺院がある時期、城郭化していたことが判明した場合、その遺構は、「○○寺跡」と称するべきだろうか、それとも「○○城跡」と称するべきだろうか。
このような謎解きに挑まなければならないのが、中世史研究の面白さであり、魅力でもあるのだが、こうした不可解な遺跡と向き合い、その遺跡の性格を説明したり、遺跡名を付けたりすることになる研究者たちは、しばしば悩むのである。そもそも、「城とは何か?」。又或者,通过考古发掘发现了一处被中世护城河与土垒环绕的方形区域。这又是什么遗迹呢?断定它是“武士馆邸”为时尚早。因为寺院也会修筑护城河与土垒,若出土遗物较少,有时很难判断是馆邸还是寺院。即便出土了佛具、茶具等遗物并被认为是寺院遗迹,中世的寺院有时也会“城郭化”。若通过文献史料查明该寺院在某时期曾城郭化,那么该遗迹究竟应称为“某某寺遗址”,还是“某某城遗址”呢?解开这类谜题正是中世史研究的乐趣与魅力所在。然而,面对这些令人费解的遗迹,研究者们在解释其性质或命名时,往往感到苦恼。归根结底,“什么是城?”。
†見解の相違
城を専門的に調査・研究する学者の間には、「城」の定義について、見解の相違がある。
城郭考古学者の千田嘉博氏は、「砦・城・館といったとき、それらを他の遺跡と区分する最大の要件は、軍事性の保有」だとして、「館」と「屋敷」の違いについても、「どのように立派な建築物を備えようが、軍事性、とりわけそのなかの防御機能(堀や土塁など)をもたなければ屋敷であり、館とはいえない」とした[千田2000]。「砦・城・館」を一括して城郭研究の対象としており、それらは「軍事性」によって他の遺跡と区分できるという。
そうした見方に対し、近畿地方を中心に全国各地の城郭研究を牽引している考古学者の中井均氏は、「城」と「館」とを分けて考えている。「城郭」は「軍事的防御施設」であり、「館とは異なる原理で築かれるもの」だという。筆者もこうした「城」と「館」の分け方に賛成で、中井氏もこれが「現時点での共通認識になっている」としているが[中井2020]、別の見解を表明している専門家もいる。
東日本における中世武士の本拠や交通などの研究を専門とする歴史学者の齋藤慎一氏は、城郭研究が研究対象としてきた城とは、軍事的防御施設としてのそれであるが、果たしてそのイメージのみで中世の城を語ることができるのか、と問う。「まず軍事」という見方で中世の城や館をとらえきることはできない、とする齋藤氏は、「城」と「館」を分けずに「城館」と一括し、「「城」には中心にある支配拠点としての性格と居住空間の性格が含まれ」ているので、「城」は「必ずしも軍事的な場ではない」。日常的な、平和な空間も「城」と称された、と論じている[齋藤2006・2021ab]。
このように、城郭研究をリードしてきた錚々たる研究者たちの、「城とは何か?」という問いに対する答えは一様ではない。その要因はいろいろとあるだろうが、この議論を建設的なものにするためには、まず研究の方法や立場から考えてみることが必要だと思う。†见解的差异 在专门调查研究城的学者之间,对于“城”的定义存在见解差异。城郭考古学家千田嘉博认为,“在称呼砦、城、馆时,将其与其他遗迹区分开来的最大要件是是否具有军事性”,并指出“馆”与“屋敷(宅邸)”的区别在于:“无论建筑多么宏伟,若不具备军事性,尤其是其中的防御功能(如护城河、土垒等),就只能是屋敷,称不上是馆”[千田2000]。他将“砦、城、馆”一并作为城郭研究的对象,认为它们可以通过“军事性”与其他遗迹区分开来。针对这种观点,以近畿地区为中心引领全国各地城郭研究的考古学家中井均,则将“城”与“馆”分开看待。他认为“城郭”是“军事防御设施”,是“与馆遵循不同原理而筑成的”。笔者也赞同这种“城”与“馆”的区分方式,中井均亦指出这已成为“现阶段的共识”[中井2020],但也有专家表达了不同意见。专攻东日本中世武士根据地及交通史的历史学家斋藤慎一提出质疑:城郭研究一直以来将城视为军事防御设施,但仅凭这一形象真的能完全解读中世的城吗?斋藤认为无法仅以“首先考虑军事”的视角来完全把握中世的城与馆,因此不将“城”与“馆”区分,而统称为“城馆”。他论证道,“‘城’中既包含作为中心统治据点的性质,也包含居住空间的性质”,因此“城”并不“一定是军事场所”。日常的、和平的空间也被称为“城”[斋藤2006・2021ab]。由此可见,引领城郭研究的各位泰斗级学者,对于“什么是城?”这一问题的回答并不统一。造成这一现象的原因有很多,但我认为,若要使讨论具有建设性,首先需要从研究方法和立场出发进行思考。
†城郭研究の方法
城郭の研究には、いくつもの方法がある。過去の人間に関する事象を研究する学問は歴史学と総称されるが、遺物・遺跡などモノを資料として人類の過去を研究する考古学も、広義の歴史学に含まれることがある。考古学と区別して歴史学と称する場合、主に文字史料(文献)を用いて研究する歴史学を「文献史学」と称することもある。
さらに、城郭の研究では、各地にのこる城の遺構、特に防御性を高めたり敵を迎撃しやすくしたりするために工夫された構造(「縄張り」と称する)を現地踏査によって図化することがおこなわれてきた(その図を「縄張り図」という)。1980年、村田修三氏によって縄張り図を資料として戦国史研究をおこなうことが提唱され[村田1980]、発掘調査だけでなく地表にのこる城跡の調査も重要であることが認知されるようになった。狭い意味で「城郭史学」とか「城郭史研究」という場合、この縄張り研究のことを指す場合もある。
80年代には、中世遺跡の発掘調査も増加の一途をたどり、それまで原始・古代にくらべると低調だった中世考古学の研究も活況を呈しはじめた。城跡の発掘調査の事例も増え続けるなかで、一つの論争がおこった。「軍事施設であることに独自性のある城郭を扱う場合、まずその軍事面にせまる縄張り研究」を重視するべきだと説く村田氏[村田1985b]に対して、考古学者の橋口定志氏が、「軍事施設であることに独自性を狭めてよいのであろうか」と批判の声をあげたのである[橋口1986]。「城とは何か?」という論争は、ここに始まっていたと言えるかもしれない。軍事性を重視する城郭研究者と、「地域における」「支配拠点」である城館には軍事以外にも政治や経済、その他さまざまな面があるはずだと考える考古学者、それぞれの主張はよくわかるのだが、論争としてはどこかかみ合っていないと感じるのは筆者だけだろうか。†城郭研究的方法 城郭研究有多种方法。研究过去人类事物的学科统称为历史学,而以遗物、遗迹等实物作为资料研究人类过去的考古学,有时也被包含在广义的历史学中。在与考古学相区别时,主要利用文字史料(文献)进行研究的历史学有时被称为“文献史学”。此外,在城郭研究中,通过实地考察将各地残存的城遗迹——特别是为了提高防御性或便于迎击敌人而设计的构造(称为“绳张”)——进行绘图,一直是一种常规做法(这些图被称为“绳张图”)。1980年,村田修三提倡以绳张图作为资料进行战国史研究[村田1980],使得不仅是发掘调查,地表残存的城址调查也开始受到重视。在狭义上,“城郭史学”或“城郭史研究”有时也指代这种绳张研究。80年代,中世遗迹的发掘调查持续增加,此前相比原始、古代较为低迷的中世考古学研究也开始活跃起来。在城址发掘案例不断增加的过程中,产生了一场争论。村田修三主张应重视“在处理作为军事设施的城郭时,首先应从军事面切入的绳张研究”[村田1985b],对此,考古学家桥口定志提出了批评,认为“难道可以将城郭的独特性仅仅局限于军事设施吗?”[桥口1986]。“什么是城?”的争论或许正是始于此处。重视军事性的城郭研究者,与认为作为“地区内”“统治据点”的城馆除军事外还应包含政治、经济等多种层面的考古学家,双方的主张都言之有理,但作为一场争论,总让人觉得有些“鸡同鸭讲”,不知是否只有我一人有此感。
†名付けの難しさ
城跡の調査・研究の方法をめぐって議論する場合にも、城の定義や城と他の遺跡とを分ける基準のようなものが示されなければ、生産的な議論にはならない。やはり、「城とは何か?」と問い返すことが必要なのである。
例えば、縄張り研究者も考古学者も、「城」や「館」といった語を用いて遺構を説明する。しかし、調査されている遺構・遺跡のうち、古文書などの文献史料にその名を残しているものは、ごく一部に過ぎないから、厳密に言えば、その遺構が構築され機能していた当時、何と称されていたかわからないことが多い。山の上にあって堀や土塁をもつ遺構は「○○城」、平地にあって方形(矩形)に堀・土塁がめぐる遺構については「○○館」というように称されることが多い。しかし、それぞれの定義や基準、根拠となる史料などが示されることは稀である。多くの場合、研究者が、「城」とはこうしたものだ、「館」とはこのような存在だ、といった現在の常識的な考えに基づいて名付けたり、分類したりしているのではないだろうか。村田氏は、「館」と「城」の区別が難しい場合があることを認めた上で、「館の典型例と城の典型例を決めて区別する。学問とはそういうものだ」と割り切ろうとしたが[村田1987]、ある事例を「典型」とする理由・基準は何かが問われることにかわりはない。
また、文献史料に、「居館」という語は見当たらず、「城館」という語もほとんど見えない。現在の研究者が「居館」や「城館」と称している遺構は、構築され機能していたとき、「居館」や「城館」と称されたことはないのであり、「居館」や「城館」の定義も、研究者にゆだねられている。しかし、これも至難の業だと言えよう。
もちろん、考古学的な調査によってはじめてあきらかになる実態があるし、遺構を無視して「城とは何か?」を考えることは難しい。しかし、城や館とされる遺構=モノについて議論する場合も、城や館をどのような存在だと考えるのか、というコトについて自覚的・意識的であるべきだろう。†命名的困难 在围绕城址调查研究方法进行讨论时,若不明确城定义的标准或城与其他遗迹的区别基准,讨论便无法产生实质成果。果然,还是需要反问“什么是城?”。例如,无论是绳张研究者还是考古学家,都会使用“城”或“馆”等词汇来解释遗迹。然而,在被调查的遗迹中,能在古文书等文献史料中留下名字的仅是极少数。严格来说,在这些遗迹建成并发挥作用的当时,它们究竟被称为什么,往往不得而知。位于山上且拥有护城河与土垒的遗迹常被称为“某某城”,而位于平地、方形且环绕护城河与土垒的遗迹则常被称为“某某馆”。然而,它们各自的定义、基准及作为依据的史料却很少被明确指出。在许多情况下,研究者恐怕是基于“城就是这样的东西”、“馆就是这样的存在”等当代常识观念进行命名或分类的。村田修三在承认“馆”与“城”有时难以区分后,试图以“确定馆的典型例与城的典型例进行区分。学术就是这样”来下定论[村田1987],但将某案例定为“典型”的理由与基准究竟是什么,依然是一个待解的问题。此外,在文献史料中,找不到“居馆”一词,也几乎看不到“城馆”一词。当代研究者所称的“居馆”或“城馆”,在建成并发挥作用时,从未被这样称呼过。因此,“居馆”或“城馆”的定义也完全交由研究者来决定。然而,这堪称一项艰巨的任务。当然,有些事实只有通过考古调查才能揭示,忽视遗迹而思考“什么是城?”是很困难的。但即便是讨论被视为城或馆的遗迹(实物),我们也应该自觉地意识到,我们究竟将城或馆视为一种什么样的存在(事物)。
†研究の立場と城郭観
中世の城郭を研究しようとする者の立場は、大きくつぎのように分けることができるだろう。†研究立场与城郭观 中世城郭研究者的立场大致可分为以下两类。
Ⅰ 現在の私たちが城郭だと考えるものを研究すること。
Ⅱ 中世の人々が城郭だと考えていたものを研究すること。Ⅰ 研究我们当代人认为属于城郭的事物。Ⅱ 研究中世人们认为属于城郭的事物。
この両者は、ある程度重なるかもしれないが、ぴったり一致しているわけではない。
筆者は、城郭はどのような存在だと考えるかという思考の様式、城郭とはこうしたモノだという見方、とらえ方を、「城郭観」と称している。立場Ⅰは、現代の城郭観に基づく立場であって、誤解をおそれずに言えば立場Ⅰは、私たちが現在、「こうしたモノが城だ」と認識しているモノに近いモノを中世に探し求め、それについて研究しているのである。「そんなアナクロニズム(時代錯誤)が研究の場で通用するわけがない」と思われるかもしれないが、根拠や判断基準を示さずに、「防御機能(堀や土塁など)をもたなければ屋敷であり、館とはいえない」、あるいは、「城か寺かという問題なら、遺構的に判断していずれかで呼べばいい」[村田1984]とするのは、「城や館ならこんな防御施設があるはずだ」、「城とはこうしたモノだ」という前提があって判断していると言わざるをえない。それは、「現在の私たちが城郭だと思えるものを研究する」立場だということになろう。そうした立場をつらぬけば、中世の遺跡の不可解な実態から一定の距離を保つことが可能かもしれないし、遺跡の名付けにもそれほど悩まなくなるかもしれない。
立場Ⅱは、中世の城郭観をあきらかにしようとする立場、ということになる。中世の史料によって、中世の人々が「城」や「城郭」というコトバをどのように使っていたかということを探り、関連する史料から、それらのコトバにどのような意味や作用があり、それによってどのような判断がなされたか、といったことを探る。その上で、中世の人々が「城」・「城郭」と認識し、「城」・「城郭」と称したものについて、その実態をあきらかにする、という立場である。城郭をモノとしてとらえるだけでなく、城郭というモノが各時代の人々にとってどのような存在であったかというコトから探る立場だと言ってもよいだろう。这两者或许有重叠之处,但并不完全吻合。笔者将关于“城郭究竟是何种存在”的思考方式,以及“城郭就是这样一种事物”的看法与把握方式,称为“城郭观”。立场Ⅰ是基于现代城郭观的立场,直白地说,立场Ⅰ是在中世寻找与我们现在认识的“这种东西就是城”相近的事物,并对此进行研究。也许有人会认为“这种时代错误(anachronism)怎么可能在学术界通用”,但若不说明依据或判断基准,仅凭“不具备防御功能(护城河、土垒等)就不是馆”、“若是城与寺的问题,从遗迹角度判断并称呼其中之一即可”[村田1984],不得不说这是基于“如果是城或馆,就应该有这种防御设施”、“城就是这种东西”的前提在进行判断。这便是“研究我们当代人认为属于城郭的事物”的立场。若贯彻这一立场,或许能与中世遗迹的复杂实态保持一定距离,在为遗迹命名时也不会那么苦恼。立场Ⅱ则是试图阐明中世城郭观的立场。通过中世史料,探寻中世人们如何使用“城”或“城郭”这一词汇,并从相关史料中探究这些词汇具有何种含义与作用,以及由此作出了何种判断。在此基础上,明确中世人们所认识并称为“城”或“城郭”的事物的实态。这不仅是将城郭视为实物,更是从“城郭这一事物对于各时代的人们而言是何种存在”这一角度进行探究的立场。
†歴史学の基本
中世の人々が何を「城」・「城郭」と認識していたのか、できる限り同時代の史料を探ってあきらかにする。これは、文献史学の方法の基本だと言ってよい。
歴史研究の史料として、古文書などに記されている文字は大きな比重を占める。それゆえ、歴史学では史料の読み解き方を訓練する際、史料の中のコトバを注意深く検討して、その史料を書き記した作成者および同時代にそれを読んだ読者が理解したのと同一の解釈に達することをめざす。この「コトバの史的検証」が、文献史料を利用して歴史を研究する際の第一の前提であり、文献史学の基本中の基本なのである[網野ほか1988・1989]。
まず、問題となるコトバ、本書の場合、「城」や「城郭」が、各時代において、どのような文脈で、どのような意味で用いられていたかを探り、それを用いていた各時代の人々と同じ解釈に到達しようとする。この「コトバの史的検証」という基本的な作業が、城郭の研究においてじゅうぶんにおこなわれてきただろうか。
史料は、文献だけではない。絵画についても、制作された時期や目的、描かれているモノについて把握して、その絵を描いた絵師の意図、その絵を見た人々の理解と同一の解釈に達することをめざす。そうすれば、それを史料として、その時代の城郭について探ることも可能である。これまでの城郭研究において絵画は、挿し絵程度にとりあげられて紹介されることはあっても、それを史料として読み解いて、その時代の城郭について探った研究は少ない。しかし、絵画も重要な史料になる。
14世紀に制作された『法然上人絵伝』という絵巻物に、鎌倉時代の城郭を描いた場面がある(図3)。†历史学的基本 中世人们将什么视为“城”或“城郭”,尽可能通过探寻同时代的史料来阐明。这可以说是文献史学方法的基础。作为历史研究的史料,古文书等记载的文字占据了很大比重。因此,在训练如何解读史料时,历史学要求仔细推敲史料中的词汇,力求达到与史料撰写者及同时代读者所理解的完全一致的解释。这种“词汇的史学验证”,是利用文献史料进行历史研究的第一前提,也是文献史学最最基础的部分[网野等人1988・1989]。首先,探寻问题中的词汇——在本书中即“城”或“城郭”——在各个时代是在何种语境下、以何种含义被使用的,力求达到与当时使用这些词汇的人们相同的解释。这种“词汇的史学验证”这一基本工作,在城郭研究中是否得到了充分执行呢?史料不只有文献。对于绘画,也要把握其制作时期、目的及描绘的内容,力求达到与绘师意图、观画者理解完全一致的解释。如此一来,将其作为史料来探究该时代的城郭也是可能的。在以往的城郭研究中,绘画即便被提及,也往往仅作为插图介绍,鲜有将其作为史料进行解读并探究该时代城郭的研究。然而,绘画同样是重要的史料。14世纪制作的《法然上人绘传》绘卷中,有一处描绘了镰仓时代城郭的场景(图3)。

絵巻物の多くは、詞書と絵のハイブリッドで、この場面の詞書によれば、比叡山延暦寺の「堂衆」という僧の集団が別の「衆徒」と対立し、比叡山の鎮守社のひとつである、日吉八王子社に城郭を構えて抗戦している様子を描いている。背後に見える懸造りの建物は、八王子社の社殿で、そこへ至る坂道に、枝の先端をとがらせた材木(「逆茂木」という)と組み合わせた楯(「垣楯」という)で防御施設を構築し、画面右手から押し寄せる武士たちを迎え撃っている。
この絵をみて、「これは城とは言えない。単なるバリケードだ」とするのは、先ほど大別した立場Ⅰ、すなわち現代の城郭観による判断ということになろう。この絵の詞書には「山門の堂衆等」、「日吉八王子の社壇を城郭として悪行を企み」と書かれており、はっきりこれを「城郭」と称している。当時の人々が「城郭」と称しているモノが描かれているのに、それを「城郭とは言えない」とするのでは、いったい何をあきらかにしようとしているのか、よくわからなくなる。しかし、この場面を、鎌倉時代の人々が「城郭」だと考えていたモノを描いた画像として読み解く立場Ⅱであれば、この時代の城郭観を伝える貴重な史料ということになろう。
こうした史料によって中世の城郭観を探り、中世の城郭観と現在の城郭観との違いを知ることは、中世の城郭を研究しようとしている私たち自身の立場を客観的に考えることにつながる。それは、「城とは何か?」について考える土台になるだろう。大多数绘卷都是词书(文字说明)与绘画的结合。根据该场景的词书,比叡山延历寺被称为“堂众”的僧侣集团与另一派“众徒”发生对立,在比叡山的镇守社之一——日吉八王子社构筑城郭进行抗战。背景中可见的悬造建筑是八王子社的社殿,在通往社殿的坡道上,他们组合了尖端削尖的木材(称为“逆茂木”)与盾牌(称为“垣楯”)构筑了防御设施,迎击从画面右侧涌来的武士们。看到这幅画,若说“这称不上是城,只是单纯的街垒”,那便是前述立场Ⅰ,即基于现代城郭观的判断。然而,该画的词书写着“山门堂众等,以日吉八王子社坛为城郭,图谋恶行”,明确将其称为“城郭”。既然画中描绘的是当时人们称为“城郭”的事物,若硬要说“这称不上城郭”,那么究竟想要阐明什么就变得模糊不清了。但如果站在立场Ⅱ,即将其解读为镰仓时代人们认为属于“城郭”的事物,那么这便是一份传达该时代城郭观的珍贵史料。通过此类史料探寻中世的城郭观,了解中世城郭观与现代城郭观的区别,将有助于我们客观地思考自身研究中世城郭的立场。这将成为思考“什么是城?”的基石。
†城郭観の歴史へ
本書では、日本の古代から近世までの城郭観を探ることで、「城とは何か?」という問いに、筆者なりの答えを出すことをめざしたい。日本の城郭の歴史を、城郭というモノの発達史としてとらえるのではなく、まず各時代の人々が城郭をどのように認識していたか、どのような存在だと思っていたか、というコトを探り、コトとモノの関係史として、城郭の歴史を描く。古代、中世、近世、それぞれの時代で城郭の存在形態は異なり、それぞれの時代に生きた人々の城郭のとらえ方、思考の様式があったはずである。まず、それを探ってみたい。
史料の残り方による限界から、難しい時代・地域もあるだろう。そもそも、古代から近世に至る1000年を、新書1冊で描き出そうというのは、我ながら無謀な試みではないかと思う。城郭の研究は膨大な数にのぼり、研究の個別細分化はとどまるところを知らない。一つの城だけで、ぶ厚い研究書がまとめられることもある。専門的な『日本城郭史』であれば、時代や地域、さらには各城を専門家が分担して執筆するべきだろう。そうすれば、詳細で正確な説明が期待できる。
しかし本書は、あえて私一人で、古代から近世まで見通してみたい。新書1冊という限られた紙幅であるから、個々の城郭について詳しく説明することはできないだろう。重要な情報の見落としや誤認もあるだろう。しかし、前後の時代との関係や大きな流れを見通すには、新書はちょうどよいかもしれない。
各時代の城郭観を探ることで、「城とは何か?」という根本的な問いについて考えてみる。
そこから、どのような歴史がみえてくるのか、無謀かもしれない挑戦を始めてみよう。†迈向城郭观的历史 在本书中,我希望通过探寻日本从古代到近世的城郭观,对“什么是城?”这一问题给出我个人的回答。我不打算将日本城郭的历史仅仅视为城郭这一实物的发展史,而是首先探究各时代的人们如何认识城郭、将其视为怎样的存在,并作为“事物”与“实物”的关系史,来描绘城郭的历史。古代、中世、近世,每个时代城郭的存在形态各异,生活在各时代的人们对城郭的看法及思考方式也应有所不同。首先,我想探究这一点。受限于史料的留存情况,某些时代或地区或许会很困难。说实话,仅凭一本新书想要描绘从古代到近世的1000年历史,连我自己都觉得这是一个鲁莽的尝试。城郭研究数量庞大,研究的细分化永无止境。仅针对一座城,有时就能汇编成厚厚的研究书籍。若是专业的《日本城郭史》,理应由专家分担撰写时代、地区乃至各座城池。那样的话,定能期待详尽且准确的说明。然而,本书我执意由自己一人,从古代到近世进行贯通性叙述。受限于一本新书的篇幅,或许无法对各座城郭进行详尽说明,也难免会有遗漏重要信息或认知错误的情况。但对于把握前后时代的关系及宏观流变而言,新书或许恰到好处。通过探寻各时代的城郭观,来思考“什么是城?”这一根本性问题。由此能看到怎样的历史呢?让我们开启这场或许有些鲁莽的挑战吧。
網野善彦・笠松宏至・勝俣鎮夫・佐藤進一編『ことばの文化史』中世1〜4、平凡社、1988・89年
齋藤慎一『中世武士の城』吉川弘文館、2006年
齋藤慎一『中世東国の信仰と城館』高志書院、2021年a
齋藤慎一「城館構造の地域性と変遷」中井均先生退職記念論集刊行会編『城郭研究と考古学』サンライズ出版、2021年b
千田嘉博『織豊系城郭の形成』東京大学出版会、2000年
中井 均『中世城館の実像』高志書院、2020年
橋口定志「1985年の動向(中・近世)」『考古学ジャーナル』263、1986年
村田修三「城跡調査と戦国史研究」『日本史研究』211、1980年
村田修三「中世の城館」永原慶二ほか編『講座・日本技術の社会史(土木)』6、日本評論社、1984年
村田修三「縄張り把握と発掘、協力へ――城郭研究の現状」『読売新聞』8月16日夕刊、1985年
村田修三編『図説中世城郭事典』1〜3、新人物往来社、1987年网野善彦、笠松宏至、胜俣镇夫、佐藤进一编《词汇的文化史》中世1-4,平凡社,1988-89年;斋藤慎一《中世武士之城》,吉川弘文馆,2006年;斋藤慎一《中世东国的信仰与城馆》,高志书院,2021年a;斋藤慎一“城馆构造的地域性与变迁”,收录于中井均先生退休纪念论集刊行会编《城郭研究与考古学》,Sunrise出版,2021年b;千田嘉博《织丰系城郭的形成》,东京大学出版会,2000年;中井均《中世城馆的实像》,高志书院,2020年;桥口定志“1985年的动向(中・近世)”,《考古学Journal》263,1986年;村田修三“城址调查与战国史研究”,《日本史研究》211,1980年;村田修三“中世的城馆”,收录于永原庆二等人编《讲座・日本技术的社会史(土木)》6,日本评论社,1984年;村田修三“绳张把握与发掘,走向合作——城郭研究的现状”,《读卖新闻》8月16日晚刊,1985年;村田修三编《图说中世城郭事典》1-3,新人物往来社,1987年

【目次】
序 章 城とは何か?
第一章 古代の城郭
第二章 古代から中世へ 1─東北の戦乱と王朝の城郭観
第三章 古代から中世へ 2─中世城郭の出現
第四章 鎌倉時代の城郭
第五章 南北朝・室町時代の城郭
第六章 戦国時代の城郭
第七章 中世から近世へ
終 章 城郭史研究のフロンティア【目录】序章 什么是城?第一章 古代的城郭;第二章 从古代到中世 1——东北的战乱与王朝的城郭观;第三章 从古代到中世 2——中世城郭的出现;第四章 镰仓时代的城郭;第五章 南北朝・室町时代的城郭;第六章 战国时代的城郭;第七章 从中世到近世;终章 城郭史研究的前沿
中澤克昭(なかざわ・かつあき)
1966年、長野県長野市生まれ。上智大学文学部教授。専門は日本中世史、とくに城郭史や狩猟文化史。青山学院大学大学院博士後期課程退学。博士(歴史学)。著書に『中世の武力と城郭』(吉川弘文館、1999年)、『肉食の社会史』(山川出版社、2018年)、『真田氏三代と信濃・大坂の合戦』(吉川弘文館、2016年)、『狩猟と権力――日本中世における野生の価値』(名古屋大学出版会、2022年)などがある。中泽克昭(Nakazawa Katsuaki),1966年出生于长野县长野市。上智大学文学部教授。专攻日本中世史,特别是城郭史及狩猎文化史。青山学院大学大学院博士后期课程退学。博士(历史学)。著有《中世的武力与城郭》(吉川弘文馆,1999年)、《肉食的社会史》(山川出版社,2018年)、《真田氏三代与信浓・大坂之战》(吉川弘文馆,2016年)、《狩猎与权力——日本中世野生价值》(名古屋大学出版会,2022年)等。


